Benz Patent Motorwagen |
名称 | ベンツ パテント モートルヴァーゲン | ||
---|---|---|---|
生産年 | 1885年 | ||
生産台数 | 不明 | 全長 | 2547mm |
全幅 | 1454mm | 全高 | 1623mm |
ホイールベース | 1623mm | 重量 | 254kg |
エンジン | |||
形式 | 空冷水平単気筒四ストローク | 排気量 | 不明 |
最大出力 | 2-3ps/250rpm | 最大トルク | 不明 |
最高速度 | 12km/h(推定) | トランスミッション | 不明 |
十九世紀後半、ドイツでは小型内燃機関の開発が急ピッチで進められていた。
なぜなら、当時主流の蒸気機関は効率を上げるためには大型化する必要があったため、
それにはお金がかかるからだ(ドイツは工業後発国で、当時工業があまり盛んでなかった)。
それに、都市に上下水道の完備していないドイツにとって、
水を大量に必要とする蒸気機関は使いたくても使えなかったのだ。 現在のエンジンの元となるものは、アメリカに帰化したスウェーデンの技師、 ジョン・エリクソンによって考えられた。1800年ごろのことである。 その後、ガス・エンジンをへてドイツ人のニコラス・アウグスト・オットーがアルコール燃料の 4ストロークエンジンを発明し、 1878年には点火系統を改良して「オットー式静粛エンジン」として市販を開始した。 一方、カール・フリードリヒ・ベンツは1877年からオットーの特許と関係のない 2ストロークの定置用のガソリンエンジンの開発に取り掛かり、 79年にそれを完成させた。そしてそれはさらに改良され、点火方式はそれまでの ホットチューブ式からより効率の高いマグネート式を史上初めて採用した。 その技術を元にして新たに開発されたのが、 毎分400回転で2-3psの力を発揮する単気筒四ストロークのエンジンである。 このエンジンを載せた世界初のガソリン自動車(といわれる:諸説あり)「モートルヴァーゲン号」は1885年に完成した。 エンジンはリアに水平に置かれ、布ベルト、チェーンを介して車輪を駆動した。 この車は1885年末にマンハイムでテストされ、 翌年1月29日に特許をとった。 しかし、科学技術界でのこの車に対する反応は冷ややかだった。 たとえば1888年発行の権威ある「ドイツ自然科学イヤーブック」には、 次のように書かれていた。 「ベンツはまたガソリン車を作り、ミュンヘン展示会でかなりの評判を取った。 しかし、ガソリン・エンジンの採用は蒸気エンジンが路上の走行に適していないのと同じく 将来性は薄い」。 当時は自動車(スチーム・エンジン)を嫌う人がたくさんいた。 自動車のせいで馬車業者は売上が伸び悩み、 それに加えて当時の自動車は油漏れがひどかったからだ。 その影響がこの記事に現れているのだろう。 このような世間の冷たい評価を、カール・ベンツの妻、 ベルタ・ベンツは快く思わなかった。 カールが以前に2ストローク・エンジンが発明したときや、 自動車の研究に取り組んでいた1870-80年代にかけて、 ベルタは妻として、また母として献身的に研究の助手を務めた。 そのため、モートルヴァーゲン号はカールとベルタの二人が いっしょに作ったようなものだった。 だからこそ、このような世間の冷たい評価に我慢がならなかったのだろう。 そのため、ベルタはモートルヴァーゲン号の「ロード・トランスポーター」としての 有用性を大衆の前で実際に証明して見せることを思いついた。 1888年8月のある朝、カールがまだ寝ている間に、 ベルタは長男のオイゲンと次男のリヒャルトを乗せてモートルヴァーゲン号で マンハイムの町を後にした。 世界初の、ガソリン自動車による長距離旅行である。 ときおり故障(車輪を駆動するチェーン切れが一番多かった)を起こしたものの、 カールの有能な助手であったベルタにとって、修理は朝飯前だった。 しかし、当時の町にガソリンスタンドがあるわけもなく、 ガソリンが切れると近くの薬局まで走っていって買ってこなければならなかった。 また、当時のドイツでは自動車で公道を走ることは禁止されており、 他の場所でも午後2時から4時までの2時間しか自動車の運転は認められなかった。 そのため、ベルタ達は史上初の交通違反者となってしまった。 ハイデルベルクを経由して、シュツットガルトの西40kmにある、 フォルツハイムの町に着いたのは夕方だった。 行程は約100kmである。 当初の予定ではその町にある祖母の家に行くつもりだったが、 あまりに疲れ果ててしまったので、イスプリンゲン街の手近な宿に泊まることにした。 クルマの周りには、すぐに大勢の人が集まってきた。 一部の人は懐疑的だったが、多くは感嘆の声をあげた。 その中の一人が声高々に叫んだ。 「さあみんな、もう馬車馬なんて殺してしまっても大丈夫だぞ、これさえあれば!」。 居合わせた人々はどっと笑ったが、それは実に正確すぎるほどの予言だった。 カール・ベンツは最初、この冒険ドライブを知るとひどく心配し、 折り返し電報でかなり厳しい調子でベルタをしかった。 しかし、自伝には3人のことを誇らしく書いている。 やはり、うれしかったのだろう。 ちなみに、彼はこのモートルヴァーゲン号を少数ながら生産し、 友人に売ったという。 このようにして、史上初の自動車旅行は幕を閉じ、 100年以上にわたるガソリン自動車全盛時代への始まりとなった。 |
写真撮影場所 | : | トヨタ自動車博物館 |
---|---|---|
写真撮影年月日 | : | 1999年10月9日 |
参考文献 | : | 折口 透著 「自動車の世紀」 岩波書店 |