きんきょ〜

過去の出来事

Wed Sep 2007


  • 先生から内々定もらってたからぜんぜん意識してなかったんだけどどうやら一昨日が大学院試験の正式な結果発表の日だったらしい。合格発表の掲示も見に行ったりすることをすっかり忘れてたんだけど、一緒に受けた友達曰く、受かってた、と。そんで今日書類が届いてました。
  • 折り紙の研究。折れ目の部分から面にトルクを加えることをシミュレーションすることで面が勝手に折れていくようにできないかと思って現在取り組んでるんだけど、なんか途中で結果が発散してしまってうまくいかない...。
    ねじり折りのアニメーション(失敗)[WMV9 6sec 37KB]
    ※ このサイズの動画がたったの37KBで表現できるなんて、エンコーダーも進化したなあ。

Tue Sep 2007

  • やったよ!情報処理学会のジャーナルに折り紙の論文が採択されたよ!つうこうとで昨日はつくばでは誰もが知ってる大盛食堂のランランにてお祝い会しましたが半分ぐらいしか食べ切れませんでした。ちなみに俺はランランに行ったのは今回が初めて。ボウルのような容器に盛られて出てきたのを見たときには噂はほんとだったのかとただただ驚愕するばかりでした。

Fri Sep 2007

  • 論文投稿してきた。著者の顔写真だけど写真屋さんに頼んで撮ってもらったのはなんだか表情が硬かった上に証明写真みたいな光の当たり方であまり好きになれなかったので自分で撮ってみた。一生のうちそうもない出来事だし自分の手元にはK10Dという機材があるのでちょっとこだわってみました。
  • 注文してた「本格折り紙 入門から上級まで」(前川 淳)が届いたので、その中に収録されていた「カブトムシ」を折ってみた。白い羽根とかも再現してあってすごくリアルです。
    カブトムシ完成写真

Sun Sep 2007

  • 昨日は研究室に、金沢の北陸先端大学院大学から上原先生という方がいらっしゃりました。折り紙の研究に関心があるとかで自分の担当教官をたずねてらっしゃったのですが、自分もその中に混じって4時間以上いろいろと楽しい時間をすごすことができました。先生はポップアップブックの折りたたむ際の数学的困難さの証明というような研究を最近行ったということでその話を聞くことができましたが、NP完全やNP困難というような自分が苦手とする数学概念が頻出で、ついてくのが大変で大変で。改めて自分の情報基礎能力の無さを痛感してしまいました。ちなみに先生はこの理論を使って閉じたりあけたりするのが数学的に非常に困難なポップアップブックなども作ったとのことです。
  • 「本格折り紙 入門から上級まで」には折り紙界で非常に有名な「悪魔」の折り図が載ってます。初出は「ビバ!折り紙」でしたがこれは廃刊になって久しく、その後この折り図の入手は非常に困難でしたけがこの本に再録されたということで容易に手に入るようになりました。そんなわけでちょっと大きめの和紙を入手して、自分でも折ってみました。

    ちょっとダダクサに折ってしまったためカドがピッタリ重なってないです。それに和紙だとどうも毛羽立ちが目立ってしまうみたいなので、こんど別な紙を用意して改めて作り直そう。
  • これは「本格折り紙〜」には収録されてませんが、同様に非常に有名な「川崎ローズ」です。いい機会なので折ってみましたが、かなり複雑なオペレーションが必要で、折り図を見てもなかなか折り方を理解できませんでした。こういうのこそ3DCGで折り方をアニメーションできたらわかりやすそう。

    撮影のときに、黄色のバラの露出を調整するのがすごく難しかった・・・

Fri Sep 2007

  • 先週末、実家の祖父の葬式がありました。で、自分は親戚に頼まれて葬式の様子をK10Dで撮影してました。おそらく自分がK10Dという一眼レフを持ってて、ことあるごとにいろんな場所でシャッター切ってたのを親戚に見られていたからそういう役回りになったのだと思うのですが、悲しみにふける親類に対して無神経にフラッシュを浴びせるマスコミみたいな感じがして、あまりやりたい役回りではなかったりしました。自分もその悲しみにふける親類の一人だった訳ですし・・・。しかし、こういう重要な場面を記録するという役割をまかされるという面ではまんざらでもなかったりもしてました。写真を撮るのが嫌な自分と好きな自分の矛盾をうまく説明するにはどうすればいいでしょうか。
  • 筑波に帰ってから、祖父関係の写真を整理しました。自分の最初のデジカメはRICOH Caplio RXなのですが、それを買ってからというもの、なんでもない部屋の中とか机の上とかの日常風景をずいぶんたくさんスナップ撮影してました。そのなかには元気な祖父の写ってる写真も結構たくさんあったのですが、そういう写真と、死んで棺桶に入っている写真が一つのディスプレイの中に配置されたりしてしまって何ともいえない気持ちになりました。さすがに棺桶の中まで撮るつもりはなかったのですが、親戚に頼まれたので撮影したのもです。やっぱり撮らなければよかった。
  • ある人と一度出会った後、一生合わないなんてことはよくあります。自分もまだ24年しか生きてませんが、その短い間で出会ったことのある人たちのうち、あそこであったあの人とはこの先何年生きたとしても二度と合わないだろう、と思われる人がたくさんいます。でも、そういう人たちと分かれるときに自分は悲しんだかというと、そういうことはあまりありませんでした。祖父の葬式のときも自分はそんなイメージでいたのであまり涙とか出ませんでした。そういえば高校の物理の授業では≒0と=0はどちらも同じ意味でしたが、一生会えないかもしれないことと、一生会えなくなることも、見方によってはほとんど同じです。自分は大学でコンピュータによる計算アルゴリズムを研究してるので、誤差を切り捨てることに何の躊躇も感じなくなってるだけかもしれませんが。
  • 写真を見て自分が感じたのはむしろ、戻らない過去と現実との落差かもしれません。自分は普段生きるので精一杯な生活を送ってるので、これからどうするかという未来のことしかばかりに興味がいきます。明日は今日よりいいはずだ、明日をよくするために今日どうするか、と。もしかしたら自分の運命は今が最高潮で、あとは下っていくのみだったりしないだろうか、なんていう不都合な予測からは目を背けてひたすら前へ走ってます。でも祖父の生前・死後の写真からはそういう要素をどうしても感じてしまいます。できれば目を伏せていたい未来です。
    やはり撮らなければよかったか。

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