きんきょ〜

過去の出来事

Fri Sep 2007

  • 先週末、実家の祖父の葬式がありました。で、自分は親戚に頼まれて葬式の様子をK10Dで撮影してました。おそらく自分がK10Dという一眼レフを持ってて、ことあるごとにいろんな場所でシャッター切ってたのを親戚に見られていたからそういう役回りになったのだと思うのですが、悲しみにふける親類に対して無神経にフラッシュを浴びせるマスコミみたいな感じがして、あまりやりたい役回りではなかったりしました。自分もその悲しみにふける親類の一人だった訳ですし・・・。しかし、こういう重要な場面を記録するという役割をまかされるという面ではまんざらでもなかったりもしてました。写真を撮るのが嫌な自分と好きな自分の矛盾をうまく説明するにはどうすればいいでしょうか。
  • 筑波に帰ってから、祖父関係の写真を整理しました。自分の最初のデジカメはRICOH Caplio RXなのですが、それを買ってからというもの、なんでもない部屋の中とか机の上とかの日常風景をずいぶんたくさんスナップ撮影してました。そのなかには元気な祖父の写ってる写真も結構たくさんあったのですが、そういう写真と、死んで棺桶に入っている写真が一つのディスプレイの中に配置されたりしてしまって何ともいえない気持ちになりました。さすがに棺桶の中まで撮るつもりはなかったのですが、親戚に頼まれたので撮影したのもです。やっぱり撮らなければよかった。
  • ある人と一度出会った後、一生合わないなんてことはよくあります。自分もまだ24年しか生きてませんが、その短い間で出会ったことのある人たちのうち、あそこであったあの人とはこの先何年生きたとしても二度と合わないだろう、と思われる人がたくさんいます。でも、そういう人たちと分かれるときに自分は悲しんだかというと、そういうことはあまりありませんでした。祖父の葬式のときも自分はそんなイメージでいたのであまり涙とか出ませんでした。そういえば高校の物理の授業では≒0と=0はどちらも同じ意味でしたが、一生会えないかもしれないことと、一生会えなくなることも、見方によってはほとんど同じです。自分は大学でコンピュータによる計算アルゴリズムを研究してるので、誤差を切り捨てることに何の躊躇も感じなくなってるだけかもしれませんが。
  • 写真を見て自分が感じたのはむしろ、戻らない過去と現実との落差かもしれません。自分は普段生きるので精一杯な生活を送ってるので、これからどうするかという未来のことしかばかりに興味がいきます。明日は今日よりいいはずだ、明日をよくするために今日どうするか、と。もしかしたら自分の運命は今が最高潮で、あとは下っていくのみだったりしないだろうか、なんていう不都合な予測からは目を背けてひたすら前へ走ってます。でも祖父の生前・死後の写真からはそういう要素をどうしても感じてしまいます。できれば目を伏せていたい未来です。
    やはり撮らなければよかったか。

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